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感じた事や楽しかった事を書いていきます。

秒速5センチメートル

映画「秒速5センチメートル」を見ました。
Hulu、めっちゃ便利。最高。映画や本の感想って普段は共有しようとは思わないんですけど、ちょっとパッションが溢れでてしまっているので書いていきます。

以下、容赦無いネタバレ含みます
というかほぼ読書感想文です。
(個人的には映画を見てから読んで欲しいかなって気がする。し、映画を見ていないと割りとちんぷんかんぷんな内容かも。。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、全体を通して詩のような映画でした。というか、登場人物がみなポエットでした。全編通してとにかく詩。その時に登場人物が感じている事に関する詩。やっぱり僕なんかよりも、もっと大人が作ったものだから、リアルな中学生像だったり高校生像だったりはしないんですけど、それでもとにかくスっと入りやすい。登場人物の感じ方や事実に対して余白の多い映画で、かなり見る側の判断が多くなる映画。だからこそやっぱり、その分共感しやすい。

「ねぇ、秒速5センチなんだって。」

「ねぇ、秒速5センチなんだって。」
「え、なに?」
「桜の花の落ちるスピード。秒速5センチメートル。」
「ふーん。明里、そういう事よく知ってるよね。」

「ねぇ、なんだかまるで雪みたいじゃない?」

最初の方にあったセリフ。とても印象的で、セクシー。絶対に小学生はこんな言い回しをしないとわかっているけれど、だからこそヒロインの女の子ーー明里が際立つ。全体的に秘密めいていて色っぽい。この映画は3話構成で、小中学生の時の1話、高校生の時の2話、その後の3話となっている。

「この先もずっと一緒だと、どうしてだろう。そう思っていた。」

明里が小学校の終わりに栃木へ転校。よくある話って感じ。不思議と僕は先の未来を漠然と想像していて、疑いもしていない。今の僕もそう。主人公の男の子ーー貴樹もそうだったのだと思う。(僕は貴樹にも明里にも、もう一人の女の子ーー澄田ちゃんにもめちゃめちゃ共感した。)僕は別れも出会いもなんとなく予感して、なんとなくその通りになって生きている。大半の事は多分そう。人生の7割は自分の予想の範囲内だと思う。(これはあくまでも僕の主観と経験。)ゲイバーに行けばゲイが居るし、会社に行って真面目に仕事をすれば仕事が終わる。自分の中で完結していて、自分の中で答えの出ている部分が人生の中では多いのではないだろうか。楽しみを求めてディズニーランドへ行く、久々の気の置けない仲間と会話をする。自分の選ぶ行動から大体はどうなるかという、ある程度の結果を期待して行動していると思う。ただ、人生それだけではない。自分でコントロールできる部分とそうでない部分がある。なぜなら他人にも他人の人生があるから。秒速5センチメートルを見て感じたのは「ありとあらゆる物語で描かれる不条理だったり時間の流れの残酷さだったりを、とても丁寧に美しく描いているなぁ。」ということ。書きたいこと終わっちまったぞ。

「貴樹くん。貴樹くんはきっとこの先も大丈夫だと思う。絶対。」 

中学1年の冬、鹿児島への転校が決まった貴樹は、もう二度と会えないかもしれないと、栃木まで明里の元へ会いに行く。栃木で起こる出来事は「ねぇ、なんだかまるで雪みたいじゃない?」を美しく締める。具体的には「ねぇ、なんだかまるで雪みたいじゃない?」と言う台詞の後ろで雪みたいな桜が降る。(実際は作中では雪だ。でも僕にはそれが桜に見えた。)「貴樹と一緒にやってきて欲しかった春が来たと信じたかった。自分の思い通りになれば良いのに。」そう明里は感じたんだと思う。でも、そう思う反面きっと、この先の人生は自分の思い通りにならないとわかっていて、そんな言葉が出たんじゃないかなぁ。なんて、ませた女子中学生の気持ちを想像する。貴樹もポエムの中でこう言う。「僕たちはこの先もずっと一緒に居ることは出来ないと、はっきりとわかった。僕達の前にはいまだ巨大すぎる人生が、漠然とした時間が、どうしようもなく横たわっていた。」貴樹と明里は似ていると、貴樹自信は作中で語る。正にその通りだと思った。

そのような流れでの「貴樹くん。貴樹くんはきっとこの先も大丈夫だと思う。絶対。」と言う言葉。別々に生きる未来を既に想像しているのかどうなのか。この部分を補完するような内容の小説が出ているらしいけれど、ぼくは秘密は秘密のままが美しいと思う。(貴樹が渡そうとしていた手紙、明里が渡そうとしていた手紙の内容も、しまっておいたほうが美しいんだろうなぁ。なんて。)

ぶっちゃけ、1話と2話は普通につまんない。ただただポエミーで、ただただ静か。でも、3話でその静かな部分が主題歌のOne more time, One more chanceによって輝く。っていうか、マジあれはズルい。


山崎まさよし / One more time,One more chance

2話は割愛

転校先の鹿児島県種子島での話。2話での主人公は転校先の澄田ちゃんの貴樹への片思いの話。割愛とは書いたけど、印象的な台詞が無かっただけ。ただ、なんとなくこの先を想像させる、なんだろう、この先の人生うっすらとした、希望、ではないけれど、諦めの先の、まだ僕の人生で経験のない部分の暗示、というかなんというか、貴樹の人生での次を思い起こさせてしまうような(言ってしまえば貴樹の人生を変えるであろう出来事)が起きる。(僕はそう感じたし、見終わると皆そう思うだろうと勝手に思ってる。)

人生の思い通りにならない部分が必ずしも理不尽なだけかというと、そうではないんだな、とあとから考えれば思う。人生で起きた(あるいは、起きてしまった)感動的な出来事や印象的な出来事が自分の人生を変えることもあるのかもな、と書きながら思った。自分の人生でこのような事が起こる気は全くしない。しないけれど、きっと貴樹もそうだったんだと思う。

3話

もう、書くことなんて何もないって感じ。見てくれ〜としか言い様がない。ない。本当に「アァ〜〜〜人生〜〜〜〜〜〜」ってなった。完全に自分の世界に入ってしまった。今まで起きた後悔している事、愛した人、いろいろな事を思い起こした。全ての人の半生の暗喩だと思った。すべての人の静かな人生をほんの少しだけ大げさに描いた映画だって思った。

それとは別に、「この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて、それが具体的に何を指すのか、ほとんど脅迫的とも言えるようなその思いがどこから湧いてくるのかも分からずに、僕はただ働き続け、気づけば、日々弾力を失っていく心がひたすら辛かった。そして、ある朝、かつて、あれほどまでに真剣で切実だった思いがきれいに失われていることに、僕は気づき、もう限界だとした時、会社を辞めた。」という貴樹の語りが入る。これが、自分の事を言われているみたいで苦しかったし、少し分かってもらえたようで嬉しかったりした。優しくされるのって嬉しいけど苦しいかもね。僕は現実、”何か”を”どうにかしよう”と、仕事にもプライベートでももがいている。でも”何”を”どう”したいのか、てんで分からない。きっと貴樹も働き始めてから4〜5年ほど経っているだろうというのがわかるんだけど、どうしてもその姿に自分を重ねてしまう。比較的、僕の年齢くらいの等身大に近いんだと思う。(僕は働き始めたのが4大卒よりも早いからもう少し後の年齢かもしれない。)何か変えよう、何か変えようってもがくの。僕は幸い、貴樹の様に「あれほどまでに真剣で切実だった思い」は失われてはいないけれど、きっといつかそういう日が来る”かも”しれないと思わされた。だって少し描写された貴樹の生活が自分の生活にそっくりだったから。家に帰ってテレビをボーッと見ながらコンビニ弁当を散らかったソファもない部屋で食う。僕の場合に置き換えると飯食ってなにをするわけでもなくツイッターを眺める。だ。なんにもないと言う点で一緒。人はきっと無感動な日々が続くと、無感動な日々の為に何かを搾られ続けて、その何かの搾りかすをえいと捨ててしまう日が来るのだろう。(僕は人より感動的な日々を過ごしていると思っているけれど。)

ラストシーン

 という、今までツラツラツラツラ、ダラダラダラダラ書いてきた事や、もっとそれ以上のものがドドドドドッと流れてくる。濁流よマジ。映画見終わってから真夜中に1時間かけて書いてしまうくらい鮮やかだった。お互いの人生は別々で全くもって赤の他人。でも、そこには確かに愛があって、いつでも忘れない(あるいは、忘れることの出来ない)ものがあるんだなぁ。みたいな。過去に縛られるわけではないけれど、過去というか経験や自分の血となり肉となった何かが、今まで生きてきて感じたことの全てが、この先の人生を変える、いや、変えるというか、まぁ、見てくれ。

 

ちなみに、具体的に思い出してた内容はこんな感じなんだけど、ネ。

oimoboy.hatenablog.com

これに合わせて今の生活とか、これから先のこととか想像してわわわわ〜ってなった。
あ、因みに二十代前半の前半(上の記事)で書いた人と結局お付き合いすることになりました。これに関してもまたいろいろあるけれど、それに関しては相手のこともあるし、ごくごく親しい人に話したいことがいくつかある。

 

結局最近の報告みたいになって終わってしまったけど、いい映画だった。というか個人的に超好き。みた直後の感想はこんな感じ。

頭悪そう。ウケる。