捨てるプロ
スピリチュアル仏教ババァoimoboyです。
趣味はピアノ・ダンス・筋トレ・星占い・捨てることです。
年末の大掃除で自分の持ち物の約7割を捨てました。
めっちゃ捨てるプロ。起きて半畳寝て一畳。
私の人生にそれ必要か~~要らないよ~~~
という周期がまた来ています。
正直コレは発作です。
ものを捨てることってめっちゃ快感なんです。
もの捨て依存症!
※イメージ
ミニマリズムとかなんとか抜かしやがるけど、そうじゃない。もう、物がなくなることそのものが快感。日常生活に潜む破壊衝動を思う存分発揮できる行為こそが物を捨てるという行為なんです。あぁ、気持ちいい。あぁ、気持ちいい。
極楽浄土かよ。
私だってできれば物に囲まれて丁寧に暮らしたいけれど、ある日突然、生活に関すること全てが煩わしくなって「シルクロードで行き倒れたい。」みたいになる事ってあるじゃないですか。シルクロードでパンフルートを吹きながら猿を肩にのせてらくだを引っ張って歩きたいじゃないですか。
そういう感じ。私にとって物を捨てるというのは、シルクロードを歩くような、ある種の日常からの逃避行で、煩わしい日常生活から少しでも離れる方法の一つ。あぁ、今猛烈に物を捨てたい。今きっと、何かがすんごく煩わしいんだと思う。
日常からの逃避行の先に待っているのは紛れも無く日常そのものなんですけど、すっからかんになった部屋を見て僕はこう思うわけです。「あぁ、なにもない。まるで私みたい。」そうして自虐的にちょっと微笑んでみてそんな自分が大好き。みたいな。ものを捨てたって大して困ることなんかない。普段使わないものは捨てても何ら問題がない。だって使わないんだもん。
「ものを貯めこんであたかも自分には何もかもあるように見せかけていたけれど、よく見ると私にはなにもないんだわ。」なにもかもあると思っていた私が酷く滑稽な存在で、でなんにもないただの一人の女だと思い知るその瞬間がもうたまらない。
きっと、シルクロードで倒れる時もこんな感じなんだろうと思う。「死んだところで何もない。私はただ砂に埋もれて骨になるだけだ。」と、そのようなことなんだろうと思う。死んだこと無いからわからないけど。でも、苦しいのはやだよね。
すっからかんになった部屋でスッキリした空気の中にひとりでぼうっと横になるその時間が本当に最高。気持ちが良いことこの上ない。だってなにもないから。なにもない事そのものが、もう気持ちがいい。一人暮らししている限りこの快楽には抗えず、絶えずものを捨て続けることになるだろうと思う。
なんていうか、これはシルクロードの旅という側面も持ちつつ、耳掃除としての側面も持つ。いっぱいとれた耳糞はもうそれだけでキモチイイ。私の部屋ってもうきっと耳の穴なんだと思う。あぁ、捨てたい。耳掃除がしたい。耳掃除は最高。あぁ、捨てたい。
なにもないのは気持ちいい。なにもないから。私ってなにもないと認めることは本当に気持ちいい。なにもないから私が居ることがわかるし、なにもないからやっぱりなにもないことがわかる。ないから私が際立つ。でも、私には何もない。ただ部屋に私と少しのものだけがある。世界が落ち着く感じがする。というか、本当は世界は落ち着いていたって感じることが出来る。「あぁ、何もなかった。」ってものを捨てて気がつけるその瞬間が最高なんだ。自分で捨てといて何言ってんだって話だけど。何もなくなりたい。ものを捨てないと私には何もないと実感できない。あぁ、捨てたい。
という感じを長らく味わってなくて、今、たった今、会社でものを捨てたい欲望に掻き立てられて、心から溢れでたものを文章にしました。
引っ越しした時にめちゃくちゃキレイになった部屋を見てからと言うもの、本当に引っ越し直前くらまでものを捨てるのが趣味になっちゃって、激烈金がかかる趣味を見つけたなって思う。