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感じた事や楽しかった事を書いていきます。

カニ味噌

 カニ味噌って、味噌が出来る前からあったと思うんだけど、味噌ができる前のカニ味噌ってなんて呼ばれていたんだろう。カニ脳?それとも、味噌が出来てからカニ味噌は食べられるようになって名前を得たのかな?脳みそもそう。じゃあ、misonoは味噌ができる前はなんて呼ばれていたんだろう。no……?

 不格好で整合性の取れない矛盾だらけの生活はどこから始まったのだろう。高専4年のゴールデンウィークの後から?それとも、もっと前から?もしかして、矛盾だらけで整合性の取れてない生活をしたから高専なんかに入ったりしたんだろうか?どうなの?原因と結果の正しい順番が知りたい。ちなみに、misonoは味噌ができる前には存在していない。鶏が先か卵が先か。コレに関しては当たり前だけど卵が先。だって鶏は卵から生まれるから。結構、簡単な話だと思うんだよね。本当は全部。

 辛いことを辛いと感じないフリして、更に辛いことに対しても辛くないフリをして、その蓄積でどんどん辛くならない強い自分が出来上がった人。辛くならない強い自分が大好きな人。そのまま感度が鈍って辛くないことが本当に辛くなくなったりもするんだけど、そうすると今度は楽しいことに対しても感度が鈍くなってしまった人。ぜんぶぼく。ここ2~3年は無知ゆえの無感動にも打ち勝ってきている気がするんだけど、仕事に対するスタンスにだけはコレが完全に残っていた様で、仕事が辛く感じているみたい。観察力が鈍くて集中力が持たないので、仕事に関しては辛いことを辛いと言えないし、嬉しいことを嬉しいと思えない。偏見は観察力を鈍らせる最低のヤツで、こいつが仕事に対して働いていた。仕事は辛いという偏見を捨てたい。集中力の無さは辛い現実を認められない弱い自分をその場しのぎで守るための思考停止。応急処置だけじゃあ、根治は無理。こうやって整合性の取れない矛盾だらけの生活がどこからともなく始まったのだと思う。

 「幸せに意味なんてあるの?」という優しいニヒリズムに心は支配されていて、素直に辛くなれるし、素直に幸せになれる。だってどちらにも意味なんて無くて、そうなってしまうから。辛いのは悪ではないし、幸せが正義ではない。だからはぼくはそうなるだけだ。幸せは友人の結婚式みたいに不意に訪れるし、辛いのは虫刺されみたいに気がつけば去っている。瞬間瞬間を切り取って永遠の真理みたいに言うのはお釈迦様も言ってるからもうやめにした。そう言えば、論理武装は"永遠の真理"を何個も作り出して自分をがんじがらめにするだけだと感じたので、論理武装もやめにした。弱い自分を守るのは丸腰で居ることただそれだけだ。多分、ガンジーは間違っていないんだと思いたい。まぁ、同じ土俵に立たないのが大前提だけれど。

 考え事で頭を満たして現実にモヤをかけるのもやめにして、モヤをはらって建設的な行動をする事にだけ頭をつかいたい。つまり、仕事しなきゃなぁ、って事です。