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感じた事や楽しかった事を書いていきます。

書きたい 書きたい 書くことない

書きたい 書きたい 書くことない

あった あった バレエ始めた
しゃがむ練習 ずっとした
しゃがむ練習 ずっとして 筋肉痛になっちゃった

 あった あった 体重落ちた
6キログラム 落ちちゃった
6キログラム 落ちたから 三角チョコパイ食べちゃった

あった あった サブリーダーに
サブリーダーに なったから 仕事が少し楽しいかもね

 

○○○○○

 

 なんだ、結構あるじゃん!

 と、思ったんだけど、私がインターネットに書きたいと思うのは、基本的に精神的に良くない状態の時に感じた事なんだなぁ、と気がついた。嬉しい事に言葉で理由を付けようとは思わないけれど、悲しいことや辛いことには理由をつけて自分を納得させたくなる。そんなものなのかも。美しさや嬉しさを言葉で説明するのは純文学がやってくれれば良いので、私にはする必要が無いと思う。

 言い換えると、今のわたしには理由をつけたくなるような悲しいことや辛いことはそんなに起こっていなくて、理由を付ける必要のない辛い事、ただ嬉しい事、ただ楽しい事の方が多いのかもしれない。今辛いことは冬に向けて睡眠時間が増えていることと、背中や腰が痛い事だ。あと、喉が乾燥して痛い。全部理由が明確なので、わざわざインターネットに書く必要が無い。

 本当に辛い事が減ったのか、自分の中で消化しつつあるのか、はたまた、ただ思考が止まっているだけなのかはわからない。とにかく今は趣味と仕事で忙しい。だから内面と向き合えていない?とも思わなくはないけれど、恋人を通して自分の内面を嫌でも見てしまっているので、多分そういうわけでも無い。人を通して見る自分は、自分が思っているより3倍は人間臭い。別に人間臭い事が悪いとは思わないけれど、もう少し自分は崇高な人間だと思っていたから、ちょっとショックだった。ウケる。

 僕は自分の事を尖った人間だと信じて疑わなかったのだけれど、最近はそう思わない。斜に構えた自分が消えて行くに従って、自分の事を「尖っていたわけではなくちょっと気性の荒い普通の人」だと思うようになってきた。「普通って嫌だなぁ~」って思っちゃうくらい普通の人間だ。「普通」だとか「尖っている」だとか人間を形容詞に押し込めて、情報を圧縮して人間を判断するのが良くないことだというのはわかっているんだけれど、どうしても解像度の低い世界で生きようとしてしまう(最近インターネットで見て、良い表現だと思ったので使ってみた)。

 どうでもいいけど、嬉しい事、楽しい事、辛い事って分類も、相当に解像度が低いな。抽象的な概念で物事を捉えすぎているから、辛いとか嬉しいとかの主観が強くなるのかも。笑

散らかってきたのでおしまい。