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感じた事や楽しかった事を書いていきます。

Evernote

Evernoteを見返したらいくつか文章が残っていた。
年末だしせっかくなのでブログにアップロードしようと思う。

xxxに振られた。 2018.04.07

 仲が悪くなってと言うワケではない。向こうに好きな人ができたみたいだ。今まで言った酷いこととか、私の怒り上手を考えるとこの先一緒に住むことは考えられないとか言われた。そんな、後付の理由なんて要らないのに。たしかにそれも真実なんだろうけど。

 本当に本当に大好きで、ずっと付き合いたいと思っていた。恋人じゃない雰囲気になっても、それでも恋人の立場をキープしていたかった。彼の人生を一番彼に近い場所で見ていたかった。そうでもなけりゃあんなひどい喧嘩してたらすぐにでも別れていたはず、だと思う。

 好きな人ができたというので、トキメキのある方に行ったほうがいいと私は思う。今回の恋愛で別れることがあれば更にひどい喧嘩をするか、向こうに好きな人ができた時だと、最初から思っていた。

 顔も好き声も好き、会話のテンポはもちろん、その他諸々。全部。嫌いな部分以外全部好き。いつ諦めがつくだろう。自分をきちんと納得させることができるのだろう。

 彼と次に付き合う人は彼の、最もプライベートな顔を見ることになる。支配に酔いしれる顔も、快楽に蕩ける顔も、全部。嫉妬で歯が砕けそうだ。俺にも見せた顔を他の人に見せるのか、俺には見せなかった顔を見せるのか。本当に、嫌。しんどい。

 総合して本気で恋愛できた。とてもいい恋愛だった。彼も僕の事を最後まできちんと好きだった。ただし、それは恋人としてではなく。それでも嬉しいけれど。自分の顔面を憎むばかりである。

 どうやって諦めよう。一人になりたくない。かと言って人と一緒に居ても泣き出してしまいそうになる。どうしようもない。平気そうな顔したけれど、びっくりするほど落ち込んでいる。あ〜

 本当に、好きだ。今も。多分これから先もずっと。

 
死 2018.11.18

 先日、実家に帰省した。母と他愛もない会話をした。恋愛とか人生とか、有り体に言うとそういう会話をした。確か、これから先の人生をどうしようか、とか、人生の分岐になるような選択をした時にどう思ったかの話だったと思う。おばかな母らしからぬ発言をしたのを確かに覚えている。

 「わたしはね、人生にもう納得しているの。冗談じゃなくてもう終活を始めてるんだから。ものは増やさない。今着てる服だって5年前に買ったものよ。わたしは30代後半からだんだん自分の人生に納得し始めて、40代になって死ぬことが見え始めて、それから今は半分死ぬ準備をしているの。"あの時こうだったら"とか"こうしていれば"という思いも昔はあったけれど、だんだんそういうのも消えて、今の自分でいいやって思えるの。この先もおばあちゃんになってこのままきっと死んでいくんだろうなって。新しく何かをする気も無いし、友達と頻繁に会う気もないし、それでもちっとも寂しくなんかなくて。仕事してちょっとおしゃべりして家に帰って寝る。わたし、離婚してから気がついたんだけど、一人が気楽だったみたい。"寂しくて死んじゃう!"って思ってたけど、私に結婚は向いてなかったみたいね。結婚してよかったのは一人が向いてるってわかったことかしら。」

 と、おおよそこの様な内容の事を言っていた。55歳を迎える母の発言は、今の私には少しさみしい事を言っているように感じられるが、きっと歳をとって自分に納得して自分の人生を歩むというのはそういうことなのだろう、とも同時に思う。私もこんなふうに思う日が来るんだろうな。それは寂しいことなのかな。嬉しいことなのかな。私にはまだわからない。

 
孤独死 2018.12.09

 孤独死とは寂しいものなのだろうか。私が19歳の時、祖母は他界した。末期の大腸がんだった。死の間際の祖母はどこか、もうすでに半分死んでいる様な状態だった。手足は枝のようにやせ細り、目は白くにごり、母や私を薄っすらと認識して調子が良い時だけ微笑む様な状態で、外の世界を外の世界と理解できているのかもわからない様な状態だった。飯を拒んだ祖母は、おそらく死の準備ができていたのだろう。

 死の間際の人間というものはみんながみんなあの様な雰囲気に包まれるのだろうか。薄い白いヴェールに包まれて精気の無い顔をして、耐えているとも耐えきれないともつかぬ顔をして、言葉も発さずにただ佇む様になるのだろうか。70数年生きた祖母の歴史が全くの無に帰そうとしているのに、なんの執着も見せない(感じさせていないだけかもしれなけれど)あの姿は、私の目にはどこか神聖なものに感じられた。痛みを受け続けた人間の無気力さはもしかしたら理想とする優しさによく似ているのかもしれない。

 遠くを見つめたあの瞳はこの世のものを一切見ていなかった。ただ一瞬、祖母が他界する一週間前に私の顔をしっかりと見た以外は祖母はきっともうこの世を見ては居なかった。目はしっかりと開いて、窓の外の春を見ることもせず人を見ることもせず天井をじっと見つめていた。祖母には何が見えていたのだろうか。それとも何も見えていなかったのだろうか。だったらなぜ目は開いていたのだろうか。

 きっと私も事故死や病死をしない限りは老衰と病気が重なって死ぬだろう。病気の痛みに耐えながら、床ずれの痛みに耐えながら、食事を摂る苦しみに耐えながら、眠る苦しみに耐えながら死ぬだろう。四六時中与えられる苦しみや痛みで鈍った世界で寂しさを感じる暇はあるのだろうか。孤独死とは本当に寂しいものなのだろうか。もし孤独死をしたなら、どれほど寂しいか、または、寂しくないかについて文章を書こうと思う。

 ひとり病室で息を引き取った祖母は寂しくなかっただろうか。