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感じた事や楽しかった事を書いていきます。

ヤダダメのダメのヤダヤダ

 LOVEは街道を進んでペットボトルの底のキラキラを拾うとLOVEがLOVEたる所以に気がつくわけ。そうするとそのハンバーガーショップのニトリが計算上正しいことになる。これは憎しみ?愛?どっちかって言うと愛。わかる?蟹。書いといてなんだけど、1mmも理解できるところがない。ハッピーを探せ!楽に生きさせろ!

 労働時間が長い事に目をつぶって、人間関係が良いとか、仕事自体はきっと面白いはずとか、なんとかポジティブに働くことを捉えてみようにも、インターネットの刷り込みか、父親が心底嫌そうに働いていたせいか、どうにも働くことが楽しいとは思えない。ヤダダメのダメのヤダヤダになってる。そもそも働くことが楽しい人生が幸せという刷り込みも自分を苦しめている気がする。ぼくを完全にフラットな状態にしてくれよ。頼むよ。っていうか、腐るほど寝ても頭が痛い。

 社会人になって5年目、もう半年で25歳。今更ながらモラトリアムの内に終わらせておきたいような「働くってなんだろう」とか「自分がしたいことってなんだろう」みたいな悩みに直面している。本当にクソ。精神年齢5歳。5歳児のほうが将来の夢をきちんと思い描けているので立派ではないかとさえ思う。将来の夢を今から描けたところで、生活レベルを落とす勇気があるか?無い。今の生活はそれはそれでかけがえのないもので、何一つ失いたくない。とまで書いて気がついたけれど、仕事や労働、働くことが自分から疎外されている。働くことは自分じゃないのだろうか?働くことは自分だろうか?アイデンティは?考えれば考えるほど青臭いままの自分が出てきて「25歳ってなんなんだろう」となる。青臭いことを良しとしない刷り込みに苦しめられている自分に気がついてまたゼロに憧れを募らせる。生きて行くには形を変えなければならないけれど、形が変わって苦しむ事になるなんて、なんだかおかしな話だよね。

 3ヶ月くらいおやすみが欲しい。