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雑記 2022.12.04

 眠れない。もう朝の7時になる。だから書く。昼に飲んだコカコーラがダメだったのだろうか。それくらいしか思い当たる節がない。室内だと言うのに冬の匂いがしてくる様な、そんな明け方だ。

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 私は恋人と同棲している。理由は単純明快で、一人暮らしが寂しいからだ。私は寂しいから恋人を利用している。これを認める事が最も恋愛に対する誠実な態度だと信じている。

 友達との関係も、恋人との関係も、全て孤独があればこそ成立すると確信している。孤独なしでは人は人と関わらない。寂しくなければ関わる理由がない。少なくとも私はそうだ。一人で孤独を癒せたら誰が他人と関わるだろうか。言葉をありったけ尽くしても、誤解を与えて加害者となる。逆に、一挙手一投足、全ての言葉を何度噛み砕こうとも相手のことを理解することはない。結果、私もまた被害妄想に取り憑かれて人を加害者に仕立て上げる事になる。孤独さえ癒せれば、人と関わって軋轢を生むリスクを背負う必要など無い。(椎名林檎の「いつも言葉は嘘を孕んでいる」を私はこの様に理解する)

 つまり、私はそのリスクを受け入れてまで寂しさを紛らわせたい人間であるという事ができる。

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 究極の孤独からは逃れられない。私の世界の端っこは私の認知の端っこで、私の世界の中には何もないと感じる。視界の向こう側を知らない。触れた感触の向こう側を知らない。世界の成り立ちが私を認知の檻に閉じ込めていると、そう感じる。もう流石に受け入れているし、普段はそんな事微塵も思わないのだけれど、ふと、絶対的な覆しようの無い事実にやるせなさを覚える。“この“世界の認識が間違えていると心の底から理解できたならどれだけ幸せだろうか。あるいは、この世界の認識を心の底から受け入れられたら良いのかもしれない。人は理屈で理解するだけでなく、感情で腹落ちする感触が無ければ真に納得をしないものだ。少なくとも私は。

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 散々書いておいてなんだけれど、私は孤独を受け入れていないと同時に孤独を受け入れている。何故だかその相反する二つが矛盾なく私の中にある。私には言葉でうまく二つの調和を説明することはできないのだけれど「ただ、そういうものだ」と思っている。雨が降るのを、冬(あるいは夏)が来るのを、夜(あるいは朝)が来るのを嫌がる事がアホらしいと理解している事と、雨が降るのも、冬(夏)が来るのも、夜(朝)が来るのも嫌だと思う気持ちは同時に存在する様な、そんな感じ。

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 世界を丸ごと「そんなもんだ」と思って優しさで包み込めるような、そんな人になりたい。