雑記 2016.07.19
昨日はジムへ行って新しくピアノの楽譜を買った。
エリーゼの為にを9割方弾けるようになったので、
結婚行進曲とジムノペディを買った。
新しく始める前にエリーゼの為にの65小節目からの左手の和音をさっさと譜読みしろって思うけど、面倒くさい。
だって、あそこ、単音で弾いても曲に聞こえるんだもん……。
単音楽器の譜読みは3回くらい吹いたら終わるし、大半は初見で吹けるだけに、
ピアノの譜読みの煩わしさったら本当に凄い。
リズムだってきちんと読めるし、一つ一つの音もヘ音記号でB♭duaなら一瞬で終わる。
けれども、ト音記号とヘ音記号のC duaは読み慣れていないので、単音でもちょっと詰まるし、複数の音が出てくると困っちゃう。
指が回らないと更に楽譜を覚えるのが遅くなる。
大体2つの5線譜を一度に見るっていうのが結構な苦行だ。
(最初から真ん中のCを合わせた11線譜で書いて欲しい。)
ピアノの譜読みはとっても難しい。
……修行………?
____
三連休初日にIKEA 港北に行った。
俺は物欲の鬼になった。
IKEAには鬼が住んでいる。
もともと買う予定だった、えらく視認性の良い時計・PUGG ¥1499- と、
これまた買う予定だった、やけにシンプルなデザインのルームライト・UPPBO ¥5499- を買った。
でも、物欲の鬼になってしまったので、
こいつも買っちゃった。コレが1万円を切るの、安くない?
そりゃ物欲の鬼になると思わない?
だって、展示がこうだったんだもん欲しくなるに決まってる。。
雑記なので画像が横でも気にしない。
古いソファと不要な本棚を捨て終えたらきちんと配置してあげよう。
今はちょっと部屋が物置みたいになってる。
店頭の展示よりも家に来てからの方がでかく見える。
そのへんもう少し考えるべきだった。
それにしてもIKEAはオシャレだ。
TOKYOオシャレGirlのわたしみたいだ。
そして鬼やすい。
椅子4脚付きで1万5千円って本当に狂ってる。
この安さもなんだか、スレた都会の女であるところの私みたいだ。
_____
IKEAには子連れが多くて、子どもたちは楽しそうだった。
あと、同棲始めますみたいなカップルも多かった。
なんか、幸せ浴びちゃったな~
浴びたくもなかったのに!!!!
わたしは一人で行きました。
でも楽しかったです。
コレは本当です。
みんなもIKEAにイケヤ~~~
ゲイアプリ・プロフィールが書けない問題
最近、久々にゲイアプリをインストールした。
半年ぶりのゲイアプリ。ドキドキ・ワクワクだ。
ゲイアプリは溢れんばかりのリビドーと、
むせ返らんばかりのザーメン臭で満ちていた。
相変わらず顔ぶれも変わっていない。
さて、カワイコちゃんゲイを散策する前に、
ある程度プロフィールを整えよう。
……として、ドツボにハマった。
ゲイアプリ・プロフィールが書けない問題
原因は以下の通り
アピールポイントがない/選定できない
正直、恋人が居るので、ただ眺めるだけならなんのアピールも必要が無い。でもやっぱり、ゲイアプリっぽくアピールはしておきたい。そういうスケベ心はある。ただ、そもそも、自分のアピールポイントを探さなければ他人にアプローチ出来ないなんて、なんだか魅力のない人みたいだ。鬱陶しいデカマラアピールってこうやって生まれるのか。(でっかいオチンチンは好きだ。)
とにもかくにも、私はマッチョではないし、オチンチンがでっかくもない。体育会系でもなければ、高収入でもなく、何か一芸に秀でているわけでもない。そもそも他人が何に対して魅力を感じるのかという尺度を知らない。私は高収入・高学歴・高知能指数が好きだ。でもエッチするだけなら高卒が好きだ。
ゲイバーのママ曰く「ホモの3K、顔(Kao)、金(Kane)、筋肉(Kinniku)よ。」らしいので、そのうちのどれかをアピールできれば良いのではないだろうか。私にはどれもない。ちなみに僕の考えるオカマの3Kは「汚い、キツい、口うるさい」です。
自分が好きなタイプに焦点を合わせる
もう、アピールポイントが無いのは諦めよう。だって、無いものは無い。簿記の資格がないのに、履歴書に「簿記1級」と書くことは出来ないのだ。オチンチンがおっきくなければ「パイパンデカマラキョウパンリングマラ」と書けないように、BMIで太り気味と出ていなければ「タンパツヒゲガチムチ細い人と年下はごめんなさい。」と書くことはできない。
ただ、自分が好きなタイプと言うのはわかる。なので、自分の好きなタイプが好きそうなプロフィールにしてみよう。そう思った。的を絞ってその中でアピールポイントを考える。ただ、デブ専細や細専デブはゲイアプリでは様々な理由で難しいので、そういうのが専門のゲイバーへ行くべきだと個人的には思う。
例として私の好きなタイプ♡
・IQ300くらいの人
・優しそうな顔したスケベサディスト
・常識的で基本的に優しい
・人間として自立している
・顔が整っている
・穏やか
好きな人は何が好き?
もっとも頭を使う部分だ。穏やかな人が何を好きか。顔が整っている人が好きな人や物はどんな傾向か。人間として自立している人が他人に求めるものとは……(って、そもそも他人に何か求めないか。)知能指数が300くらいの人の趣味趣向とは。(多分理解できない。)
う~ん。性欲直結型のモノで有ればとっても書きやすいのだけれど、ぶっちゃけ体型やペニスについてはどうでもいいので、とても書きにくい。穏やかな人が賑やかな人を好きになることもあるだろうし、穏やかな人が穏やかな人を好きになる事もあるだろうと思う。他人の趣向はわからん。もしかして、好かれようとアピールするより、嫌われないように相手の地雷を避ける方が効率が良いのではないか……?
好きな人は何が嫌い?
いや、これも分かりっこ無いよね!上と同じ理由だ。ただ、人ってある程度共通して嫌なことってあると思うので、そのへんの嫌なことをしない様に最大限気を使って書けば最低限相手に嫌われることはないのかなぁ。と、思う。文章からそういう優しさや思いやり、気遣いのできる知能を嗅ぎとってくれる人が居るのではないか?と期待してプロフィールの文章を書けば良いのか?(疑問形)
そもそも人がされたら嫌なことって?
他人の事はわからないので、最低限自分がされたら嫌なことはしないようにしよう。というわけで、私が個人的にされたら嫌な事を一旦リスト化。この後にプロフィールを書こう。
・否定
これは一番キツい。ゲイアプリでプロフィールを見た時に「細い人とか興味ないんで。」って言われると「あっ、あたしだってあんたみたいなフォアグラに興味ないわよ!脂肪肝の肥満体型!!!」って思うもんね。これは書かないようにしよう。死ね。「年下はごめんなさい。」って30代になっても言ってる様な甲斐性の無さだからいつまでたっても恋人できないんじゃねぇの!?(おもいっきり他人を否定する文章)
・依存/他人に求めすぎ
これもかなりキツい。ゲイアプリでプロフィールを見た時に「~~な人が好き」「~~をしたい」と、自身の恋愛の理想像について延々と書かれていると「なんだか付き合ったら大変そうだな」と思う。あと「会える条件を延々と書いている人。」もはや読むのすら面倒くさい。だから書かないようにしよう。いや、もう、書きながらめっちゃブーメランじゃん。凹むわ。
・否定的な生き方
これは別にされたら嫌な事ではないのだけれど、プロフィールに嫌いなことを書いてる人を見ると「えっ、嫌いな事を並べて、自分の事をよく見せる気があるの?」と思ってしまう。もしそれでよく見えると思っているならその思考が最早わたし個人的に無理だ。まぁ、向こうも俺みたいな喧しいタイプ無理なんだろうと思うけど。
・長過ぎるプロフィール
端的に時間がかかって効率が悪い。きっとみんな、もっとちゃっちゃか人を選びたいのではないかと思う。って、ちゃっちゃか選ぶ人は顔写真しか見ないか。。
それで結局できたプロフィールがコレ。
【基本的な部分】
名前:北川景子
年齢:24(本当は23だけど24になる学年)
身長:167(本当は166.5)
体重:57(本当は56.5)【プロフィール本文】
「隣同士あなたと私さくらんぼ」
私がさくらんぼなわけじゃなくて、隣同士になっている私達がさくらんぼみたいだねって意味だったことに最近気が付きました。一夫多妻制だと
「隣同士あなたと私ら海ぶどう」
って感じですね。やっぱり僕、
一夫多妻制には反対です。
結論
気を使いすぎると何も書けない。
一夫多妻制くらい否定しても許して。日本人相手だし。
気を使いすぎると何もかけない上に妙ちくりんな文章が出来上がってしまう。それにしてもめっちゃ面白いプロフィールが書けたなって(個人的に)思って、披露したくて長々とブログを書いた。こういう労力を他のところに使いたい。
雑記 2016.07.12
本気の雑記スタイル、楽すぎて癖になりそう。
_____
健康診断の結果が来た。
雑記 2016.07.10
捨てるプロ
スピリチュアル仏教ババァoimoboyです。
趣味はピアノ・ダンス・筋トレ・星占い・捨てることです。
年末の大掃除で自分の持ち物の約7割を捨てました。
めっちゃ捨てるプロ。起きて半畳寝て一畳。
私の人生にそれ必要か~~要らないよ~~~
という周期がまた来ています。
正直コレは発作です。
ものを捨てることってめっちゃ快感なんです。
もの捨て依存症!
※イメージ
ミニマリズムとかなんとか抜かしやがるけど、そうじゃない。もう、物がなくなることそのものが快感。日常生活に潜む破壊衝動を思う存分発揮できる行為こそが物を捨てるという行為なんです。あぁ、気持ちいい。あぁ、気持ちいい。
極楽浄土かよ。
私だってできれば物に囲まれて丁寧に暮らしたいけれど、ある日突然、生活に関すること全てが煩わしくなって「シルクロードで行き倒れたい。」みたいになる事ってあるじゃないですか。シルクロードでパンフルートを吹きながら猿を肩にのせてらくだを引っ張って歩きたいじゃないですか。
そういう感じ。私にとって物を捨てるというのは、シルクロードを歩くような、ある種の日常からの逃避行で、煩わしい日常生活から少しでも離れる方法の一つ。あぁ、今猛烈に物を捨てたい。今きっと、何かがすんごく煩わしいんだと思う。
日常からの逃避行の先に待っているのは紛れも無く日常そのものなんですけど、すっからかんになった部屋を見て僕はこう思うわけです。「あぁ、なにもない。まるで私みたい。」そうして自虐的にちょっと微笑んでみてそんな自分が大好き。みたいな。ものを捨てたって大して困ることなんかない。普段使わないものは捨てても何ら問題がない。だって使わないんだもん。
「ものを貯めこんであたかも自分には何もかもあるように見せかけていたけれど、よく見ると私にはなにもないんだわ。」なにもかもあると思っていた私が酷く滑稽な存在で、でなんにもないただの一人の女だと思い知るその瞬間がもうたまらない。
きっと、シルクロードで倒れる時もこんな感じなんだろうと思う。「死んだところで何もない。私はただ砂に埋もれて骨になるだけだ。」と、そのようなことなんだろうと思う。死んだこと無いからわからないけど。でも、苦しいのはやだよね。
すっからかんになった部屋でスッキリした空気の中にひとりでぼうっと横になるその時間が本当に最高。気持ちが良いことこの上ない。だってなにもないから。なにもない事そのものが、もう気持ちがいい。一人暮らししている限りこの快楽には抗えず、絶えずものを捨て続けることになるだろうと思う。
なんていうか、これはシルクロードの旅という側面も持ちつつ、耳掃除としての側面も持つ。いっぱいとれた耳糞はもうそれだけでキモチイイ。私の部屋ってもうきっと耳の穴なんだと思う。あぁ、捨てたい。耳掃除がしたい。耳掃除は最高。あぁ、捨てたい。
なにもないのは気持ちいい。なにもないから。私ってなにもないと認めることは本当に気持ちいい。なにもないから私が居ることがわかるし、なにもないからやっぱりなにもないことがわかる。ないから私が際立つ。でも、私には何もない。ただ部屋に私と少しのものだけがある。世界が落ち着く感じがする。というか、本当は世界は落ち着いていたって感じることが出来る。「あぁ、何もなかった。」ってものを捨てて気がつけるその瞬間が最高なんだ。自分で捨てといて何言ってんだって話だけど。何もなくなりたい。ものを捨てないと私には何もないと実感できない。あぁ、捨てたい。
という感じを長らく味わってなくて、今、たった今、会社でものを捨てたい欲望に掻き立てられて、心から溢れでたものを文章にしました。
引っ越しした時にめちゃくちゃキレイになった部屋を見てからと言うもの、本当に引っ越し直前くらまでものを捨てるのが趣味になっちゃって、激烈金がかかる趣味を見つけたなって思う。