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感じた事や楽しかった事を書いていきます。

海外での雑感 & 雑記 2023.09.29

 この記事に写真はない。写真は沢山撮ったけれど、インターネットに流すにはあまりにも無邪気なものばかりだ。

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 2023年の8月、私は World of Dance の決勝でエキシビションで Fly Six B crew の一員としてステージに立った。ダンスの世界大会の決勝は独特の熱狂とダンスへの愛で溢れていた。真剣になにかに向き合う人の姿は、かくも美しいものかと心を打たれた。

 

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 もちろん、私も(そして私達も)ダンスに真剣に向き合う人としてステージに立った。本番前の焦りや重圧、本番後まで続く高揚や緊張については、それを文章にしたためる能力が無いので割愛するが、プライドを持ってやっている人々の中に立つということは身を痺れさせる様な集中力と、達成感とを与えてくれる。私はそのためにかなりの背伸びをした(もっとも、いつでも真剣でダンサーとしての矜持を持っている Fly Six B crew として踊るときにはいつも背伸びをしているのだけれど……)。

 世界レベルのパフォーマンスを目の当たりにして、私のダンスに対する理想や、自分が持っているべきと考えるスキルの最低ライン(そして私はそこに届いていない)が非常に高くなってしまった。もちろん、今日ではどこでも世界レベルのダンスを見ることができるし、日本にだって沢山の素晴らしいダンサーがいる。だが、実際にその舞台(世界レベルのダンサーの立つ舞台)に立った人間として、失礼の無いようにしたいと強く思ってしまった。そんな責任はないが、その責任を自ら背負いたいと思ってしまった。

 かくして、どの様にダンスと付き合うべきかと帰国して一月経つ今でも悩んでいるのである。優れたダンサーがどれだけの鍛錬を積んでいるのか、いちダンサーとして想像するのは難くない。そして、実際には想像以上の鍛錬があるはずだ。私の踊りにかけている時間では、自分の望むレベルに到達するのは当分先になってしまう(それどころか到達するかもわからない)。自分の生活と体力とダンスを天秤にかけ、パズルのように組み合わせているようでは恐らく望んだ所には至らない。とは言っても、今の生活をガラリと変えるような勇気は持ち合わせていない。

 勝手に描いた理想とのギャップに苦しむのは人の性だろう。

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 会場で感じたダンスへのアレコレは言葉に表してしまうと、その本質が体から抜け落ちてしまいそうなので、ダンスに関するアレコレはこの辺でやめて、アメリカで感じたことを忘れないように書いていく。世の中には言葉にしないほうが美しいことはごまんとあるが、感情などは正にその類いのものだと思う。感情を微に入り細に入り表現するのは文学に任せたほうが良い。

 ダンスで感じたアレコレは忘れてもいいものなのか……?いや、言葉にせずとも忘れないだろう。

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 アメリカはカリフォルニア州まで赴き、異国の地の真新しい風景に視線を奪われながら過ごした。幹線道路沿いに大きなスーパーやカーショップ、複合施設があるのは日本と変わらないな、だとか、植生は全く違うなだとか考えたりした。街路樹が日本だったら伐採されているレベルの高さのヤシの木で、道に植わっている植物の殆どが、見たことのない多肉植物アロエだった。太陽の州カリフォルニアの夏は、夜の19時まで日が昇っており、雨は降らず、なんていうか、日本ではありえない気候だった。まあ、日本じゃないので当たり前だけれど。

 リトル・ミス・サンシャインという映画で「ディナーよ」と言いながらどう見ても真っ昼間のシーンがあるのだが、アメリカではあれは意外と普通なのかもしれない。

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 私が驚いたのは、知らない人に平気で話しかけるカルチャーだ。アメリカに5日ほど滞在したが、毎日一度は知らない人に話しかけられていた。最もシンプルなものは、本番当日に衣装のズボンを見て「I like your  pants」だとか、ステージのために気合を入れて染めた髪に「I like your hair」だとか話しかけられたものである。日本だったらちょっとしたナンパに感じるが英語のフローの前ではいやらしさを一切感じないのが不思議だ。

 次いで多かったのが、滞在先のホテルの近くの食料品店で話しかけられる事だった。内容としては「この水をカートに入れてくれない?」というものから「何か探しているのか?」とただの客に聞かれるものだ。店員ではなく、ただの客に聞かれるのだから驚きである。水を運ぶ件に関しても、自分で運んだら?と一瞬思ったが、500ml のペットボトルが48本パックになっているものを指して私にお願いしてきていた。老齢のマダムにはこれは無理だと、それを運んだが、齢30の私でも非常に重かった。取っ手のない24kgはそりゃ誰にとっても重たい。もっと驚いたのは48本パックの500mlの水が3.8ドルだった事だ。え?

 一番私が困ったのは、アナハイム球場近くのハンバーガーショップで昼食をとっていた時に話しかけられた「俺はDJをしていて、向こうでTシャツのアパレルブランドの店を営んでいる」と話しかけてきた人と「生まれも育ちも貧乏で、仕事の面接に行く金も無い。お恵みください」と話しかけてきた人だ。グループで行動しているにも関わらず、話しかけられる。アジア人だと思って舐めてんのか! と思いながら、それでも彼が本当に困っていたらと思い、20ドルを渡してしまった。これからアナハイム球場に大谷翔平を見に行く日本人がいたらごめんなさい。私のせいで味をしめてまた彼が同じことをするかもしれません。私は駅前のカンボジアだかフィリピンだかの募金も話しかけられて立ち止まってしまうと1000円程度払ってしまう人間なので、そういうの、やめたい。20ドル払った彼には「もう友達だよ」と言ってもらって、インスタグラムのアカウントを交換し「Bless you」をしてもらいました。神のご加護がありますように。宝くじ当たらねぇかなぁ。乞食すんならインスタグラムすんなや、と思ったけど、まあそれはそれですわね。

 なんで立て続けに話しかけられるんだろうねと、同行していた人と話していたら、アナハイム球場で買ったアナハイムエンジェルスの帽子をかぶっている事に気がついた。カラクリはとてもシンプルで「丸出しの大谷翔平ファンの観光客日本人」になっていたのである。愚か者め。ちなみに私は野球には一切興味がない。帽子を買ったのはミーハーだからである。

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 到着した初日に、ホテルのあるアナハイムから足を伸ばしてロサンゼルスを散策したのだが、ここでも非常にアメリカを感じた。Uber で治安が悪い区画から2区画ほどの距離のところで降りてしまい、同行した人と一緒に、車に乗ったヒスパニック系の人からなんやかんやと叫ばれて非常に怖い思いをした。また、Uberスキッド・ロウという治安が本当に悪い地区を通り過ぎた。通りを一つすぎるごとに、シームレスに治安がどんどん良くなって、まるでなにも無かったかのような(スキッド・ロウの道路にテントを張って暮らす人なんか居ないかの様な)街並みになるのが私には少し恐ろしかった。

 スキッド・ロウは難民キャンプの様相で、通行人の足取りは重く(いや、重たいというよりフラついている?)、視点は定まらず、緩慢な動きをした人々がゾンビの様に歩いている街だった。なんというか、異様でありえない光景だと思ったが、これが本当に存在しているのだから、世界というものは体験するまでわからないと感じた。話によると、ここに住む人々の大半は薬物のディーラーらしい。

 治安の悪くないはずの地域でもコンビニには護身用のバタフライナイフを身に着けた人が居たりと、日本では考えられないような景色が当たり前に広がっていた。もうこの先の人生で悪ふざけで「川崎は治安が悪い」だとか「足立区w」だとか言えない。”治安”という言葉が日本では軽すぎる。日本での治安の悪さを基準にして海外に行ったら本当に死ねると思う。

 治安の良いとされていた私の宿泊先のアナハイムでさえ、ラリった人間が夜のガソリンスタンドで箒を振り回していた。アメリカというのは凄い国だ。

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 英語の学習を昨年の5月に始めて、昨年12月のTOEICで810点を取ってからの初海外。私の英語力はどれほどかと思ったが、ネイティブスピーカーの前では半分わかったら上出来という感じだった。人によっては9割内容を理解できるが、人によっては「Pick it up at the boarding gate」すら聞き取れなかったりする。引き続き鍛錬が必要。スピーチのような喋りは結構内容を理解できるが、白人以外の英語があまり理解できなかったので、リスニング教材を選び直すところから始めようと思った。インドにルーツのある人の英語はかなりわかったが、アフリカルーツの人やヒスパニック系の人の英語は全然だった。

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 英語学習をしていると、子供の頃にニュースを見ていたときの感覚を思い出すことがある。日本語を正しく理解しているが、内容を全く理解していないというあの感覚だ。親が親の友人と親しげに話している際に、聞き取れてはいるけれど内容が半分ほどしかわからないあの感覚だ。

 もし、私が日本語に不自由している日本語ネイティブ話者だったら、大人になった今でもこのぼんやりとした意味の掴めなさと戦いながら生きているのだろうか?と思うことが日々の中で増えている。自分の感情を外に表すことも、自分の感情に名前をつけることもできず苦しむ自分を想像する。意味がよく分からず曖昧に笑ってやり過ごして、失敗する自分を想像する。きっとそういう人が沢山いるのだろうと想像する。

 瞬時に論理的な構造を理解せず、意味を見出すこともできない言葉に毎日を苛まれるのはどんな感じだろうなんだろうか。と思ったが、そういう状態を「苛まれる」と表現するのは非常に傲慢な気がした。

 だが、言葉の意味がぼやけていたあの頃のほうが種々の苦しみは大きかったような気がする。